pboyの雑事記

私P boyの興味をもったことが書かれています。

南宗と北宗の違い

今回は南宗禅と北宗禅の違いを荷沢神会の主張を参考に論述する。
 まずは南宗禅と北宗禅の大まかな違いから述べよう。
南宗には頓悟といって、たちまち悟るということがある。南宗禅の特徴は頓悟にあるとされ、自性を悟れば頓に成仏できるという教えである。例を挙げると臨済宗公案をもって悟る、ということである。
それに対して北宗は、悟るために修行をしていく、というものである。北宗禅の特徴は漸悟であり、段階的な修道を説くとされる。北宗の例は釈尊の明けの明星をもって悟ったということであろう。釈尊は樹の下で長い時間をかけて悟った。
二つの派はそれぞれ、南宗禅は速疾一念、北宗禅は漸次修行を禅修行の特徴とした。これらをあわせて「南頓北漸」と称されている。
 そして、この二宗の祖とされる神秀と慧能はどちらも五祖弘忍の弟子である。
ある日、弘忍は門人達に各自の悟境を詩にして提出するように言った。その詩が弘忍の意にかなえば、作者に達磨の袈裟と法を継承させると言うのだ。この提案を受けて神秀だけが詩を作って寺の廊下の壁に夜中書きつけた。
しかし、この詩は弘忍の意にかなわなかった。
ある僧からこの話を聞いた慧能は神秀の詩を読んで貰い、神秀の悟境が低いことが分かった。彼は自分で作った詩を神秀の詩の隣に書いて貰った。
弘忍は慧能の悟りの境地が高いことを知って深夜に慧能を室内に呼んだ。
弘忍は「金剛経」を説いて聞かせたところ、慧能は一聞して開悟したと伝えられる。そこで弘忍は慧能を高弟の神秀をさしおいて六祖にしたとされる。
この慧能に荷沢神会という弟子がいた。彼は慧能の没後次ぎのような主張を始めた。
禅宗の六祖は自分の師である慧能であり神秀ではない。従って神秀の弟子の普寂は第七祖ではない。 北宗は達磨禅の派生であり、禅の正統は慧能系の南宗である。」
神会のこの主張の背景には中央で活躍する神秀の系統の北宗に対する反感があったと考える。神会は慧能の南宗禅の主張を定着させ、自分が慧能を後継する第七祖になりたかったからだと考えられている。
 神会はこの北宗に対する攻撃を滑台での宗論において始めたと考えられている。神会はこの宗論で崇遠法師を論争相手に北宗批判の立場を明らかにした。
この宗論は「菩提達磨南宗定是非論」に記録されている。
慧能の弟子達に優秀な禅僧が輩出したため、結果的には神会の主張と宣伝は成功し、南宗は北宗を圧倒した。歴史的には慧能の南宗が禅宗の主流になったため、今では慧能が南宗禅の創始者と考えられ六祖慧能と呼ばれている。
 なぜ南宗禅が主流になったのか。
私が考えるにそれは南宗禅独特のたちまち悟ることができる、という点にあると考えた。
早く悟ることができるということはそれだけで評判がいいだろう。
それに対して北宗は、悟るために修行をしていく、というものである。段階的な修道を説いている北宗は時間がかかる、めんどくさいといったイメージを持たれ弟子が増えにくかったのではないだろうか。
 論述等が不十分だがこれが私なりの南宗と北宗の違いである。