pboyの雑事記

私P boyの興味をもったことが書かれています。

和歌山毒物カレー事件における捜査過程と裁判過程の問題点

日本における捜査と裁判の過程には多くの問題点がある。
その問題点を歌山毒物カレー事件を例に挙げて論じる。 
 まずは事件の概要を説明したい。1998年の7月に和歌山市の新興住宅地の
自治会が主催した夏祭りで、住民が作ったカレーライスに猛毒のヒ素が混入された。
これを食べた4人が死亡した。当時、現場近くに住む林麻須美の周囲で不審な
ヒ素中毒現象が多発し、多額の保険金をその女性が受け取っていたことが判明した。和歌山県警は保険金詐欺容疑で強制捜査に乗り出し、1998年の12月に
カレー事件について殺人などの罪で林麻須美を逮捕した。本人の供述を含め、
犯行と林麻須美を直接結びつける証拠がないため、検察は祭り当日の住民の
動きを詳細に再現するなど、状況証拠を積み重ねた。他に犯人がいないことを
和歌山県警は立証した。
林麻須美は当初黙秘を続け、弁護側も無罪を主張したが、2002年の12月に
死刑判決を受けた。
 捜査の過程での問題で目立つのが自白なし、犯行時の目撃がないということで物的証拠がないということである。これにより和歌山県警は状況証拠から犯人を逆算していくことになった。
捜査により林麻須美は近所から疎まれていたということも動機という状況証拠の一つである。
状況証拠は確かに大きな手がかりではあるがそれだけでは足りない。
状況証拠だけを積み重ねても確証がなければ逮捕はしてはいけないのではないだろうか。
その状況証拠にも疑問を持つ点がある。女子高生MHによる証言である。
彼女の証言は時間がたつごとに変化していく。これは警察官による誘導があったのではないだろうか。
仮に誘導がなかったにせよ、確たる証拠がないにもかかわらず逮捕が行われている。
逮捕された後の裁判の過程でも問題はある。
二審における裁判官の評価には「これまで誠実に事実を語ったことのない被告が突然真相を吐露し始めたなどとは到底思えない」とある。
この言葉は裁判の公平性を欠いている。
被告が取調べ中に黙秘権を行使していた。これは自身の不利になることは言わなくてよいと認められている権利であり、そのことを理由に不利な判決を出すのは間違っている。
 以上が私の考える捜査、裁判過程の問題点である。
問題点は過程にあるのではなく、その過程を行っている捜査官と裁判官にあるというのが私の考えである。