pboyの雑事記

私P boyの興味をもったことが書かれています。

日本語の特質について

 日本語の特質を2つの点から考察する。
 1つ目は同音異義語である。
日本には多くの同音異義語がある。それらは多いもので40語におよぶものもある。
しかしそれは我々にはなじみが薄い。もっともなじみが深いのは講義にもあがった
「ばかり」だろう。「ばかり」には使い方として以下の使い方がある。
1.太郎ばかりにいいことがある
2.早く行け、とばかりに私はクラクションを鳴らした
3.宿題はまだ半分ばかり残っている
4.この本はまだ買ったばかりだ
5.講義に出なかったばかりに単位を落とした
6.後は寝るばかりだ
7.今行って来たばかりだ
8.彼は頭がいいばかりでなく運動神経もある
これらは当然それぞれ別々の意味を持っている。
日本語の特質の1つがこれら同音異義語の多さである。これらはすべて日常会話で使われ、文字で表さなくても前後の文脈から上記の8種類から正しいい使い方、受け取り方
をする。これらは他の言語と比べても難しいことであろう。ではなぜこんなにも日本語には同音異義語が多いのだろうか。
日本語は文字に対して割り当てる音の組み合わせが少ないため、他の言語とくらべるとどうしても同音異義語が多く発生してしまう。
かつては変体かななど、現代では使われない字も多くかったが明治時代に始まる教育の効率化により現代に近く発音が単純化されていった結果、同音異義語が多く誕生してきたのである。
 2つ目は日本語の変化を考察する。
日本は島国であり、さまざまな文化が海の向こうからやってきた。それらは古代から現代まで続いてきており、やってきた文化の中にその国の言語が含まれていたであろう。やってきた言語は長い時間がかかりはしただろうが一部は日本に根付こうとした。そして長い歴史の中で新しい言葉と古来からあった言葉は変化し混ざり日本語調になって行き、現代人は日本古来の言葉と思っている言葉ができる。例を挙げれば「天麩羅」という言葉が当てはまる。「天麩羅」はポルトガル語のtemperer(テンペラ)が変化し当て字になったものである。外国語を変化させ当て字にするのは江戸幕府鎖国政策をしていたことが関係ある。
これは日本の封建制と相性の悪かったキリスト教を締め出し、他国に侵略を繰り返していたヨーロッパの強国から自国を守るための政策である。
その鎖国政策により200年以上平和な状態が続いた日本では、文化はきわめて進歩し、
それでいて独特になった。平和になり日本の識字率はおおいに上がった。字を書く人が増えれば、俳句や短歌など言葉遊びをする人も増える。言葉遊びをする人が増えれば、新しい日本語も作られ、一部の言葉が流行り、廃れ、復活する。このようにして日本語は外から取り入れ、進化させ、自分のものにしてきた。これが私の考える日本語の変遷である。
私は日本語の特質は長い時間による変化だと考える。
 以上が私の考える日本語の特質である。