pboyの雑事記

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臨済宗の禅

仏教の中には禅宗、といわれている一派がある。ここでいう臨済宗とはこの禅宗に含まれる。ここではその臨済宗について考察したい。
 まず臨済宗から大きくさかのぼり、仏教の始まりから簡単にから考察しよう。仏教は承知の通り、釈尊が教え広めた。釈尊の入滅後に、結集、部派分裂等を経て、大乗仏教上座部仏教、さらにもっと多くの部派に分かれていった。その後にインド仏教の崩壊という事態になる。原因に関しては諸説あるが、一番の要因としてはその時代に戦争があった。僧侶は争うことをせず、ほかの地へと行く。残された民衆は、他の宗教へ変わっていった。というのが大きな要因ではないかと考える。
 本題の禅宗に話を戻す。禅宗とは菩提達磨大師がインドから中国へ布教に来た際に広まった。だるま大師ともよばれだるまさんのモデルにもなった人である。
達磨大師の影響は大きく、中国禅宗では達磨大師の教えは代々受け継がれていき、六祖慧能まで伝わった。受け継がれたものの一つに面壁九年の座禅に表される、
「壁になって見る」つまり壁のように動かず、心を動せず、その境地にて真理を観ずる禅のことである。これは後の確立された中国禅宗の中で、六祖慧能の言葉といわれている座禅の定義である。
面壁九年の座禅による足の衰えにより達磨大師の足が腐ってしまったという伝説がある。玩具のだるまはこの伝説を元にしたため足がない。
さらに中国禅宗と日本禅宗臨済宗曹洞宗、潙仰宗、雲門宗法眼宗楊岐派黄龍派の五家七宗に影響を与えた。
 中国に伝わった禅宗からまた別の禅宗が生まれることもある。ある人は経論を学んでいたが足りず、中国禅の黄檗宗の開祖黄檗希運禅師に弟子入りした。
その人こそ後の臨斉義玄禅師である。
臨在禅師は臨在録にあるように、黄檗禅師に三度打ち据えられ、それを解くために大愚禅師の元に行き、大愚禅師の一押しにより悟った。そして臨済宗の始まりとなる臨在寺に住み多くの弟子を育て、北地で大きな勢力となった。これが臨済宗の始まりである。その宗風は場祖道一禅師を祖とする禅を進めた。これにより中国禅宗の頂点にもなった。臨在禅師は大声で「喝」と発する厳しい人物だったという。
さらに中国に伝わった禅宗は達磨以来の純粋に禅を貫いた臨済宗曹洞宗によってさらに禅は発展していった。しかし時代が進むとチベット仏教が国教となり、純粋禅の多くが来日してきた。その中でも有名な人物といえば、日本に臨済宗を伝えた栄西禅師であろう。彼は日本臨済宗の開祖であり、天台宗葉上流の流祖である。さらに当時は廃れていた喫茶の習慣を、種子や苗木を持ち帰ることで復活させた。
当初、日本の臨済宗は、新しい宗教ということで京都では布教はできなかったので鎌倉幕府源頼朝など主に武家を相手に布教をした。時間が経つにつれ、臨済宗は受け入れられていき、鎌倉時代の中期には、多くの高名な僧が来日し、鎌倉に大きな寺院が多数建てられた。このころには、徐々に「禅」が馴染みだした時代だ。室町時代になると、禅宗武家や幕府だけに留まらず、朝廷にも受け入れられました。禅宗が、枯山水などの庭園文化を朝廷に対して影響を与え、権力者と結びついた。しかし、その中でも禅の教えを守り、修業を続ける宗派もあった。現在残っている臨済宗妙心寺派、建長寺派円覚寺派南禅寺派方広寺派、永源寺派、佛通寺派、東福寺派相国寺派建仁寺派天龍寺派、交獄寺派、大徳寺派、國奏寺派の14派がその流れをくんでいる。
 江戸時代に入ると、臨済宗には一大事があった。キリスト教を禁止していた江戸幕府は、臨済宗を手厚く保護した。幕府の保護と前述の朝廷との結びつきにより修業をせず、布教もしない僧が増え始めた。
そんな中、臨済宗を立て直そうと、主に二人の僧がいた。盤珪永琢禅師と
白隠慧鶴禅師だ。特に白隠禅師は臨済宗の中興の祖といわれるほどであった。
現在の臨済宗のほとんどの宗派は白隠禅師の流れをくんでいる。だから臨済宗の中興の祖といわえている。
二人は分かりやすい言葉を使い、人々に禅を広めた。
 では白隠禅師の流れの禅とは何か。私は公案に参究することで見性する看話禅だと考える。この看話禅とは唐の時代にはなく、白隠禅師独自の考えである。これは師から与えられた公案を一つ一つ解くことを重視し、悟りに至ろうとするものである。しかし、曹洞宗からは、座禅を軽視しているため、臨済宗の陥りやすい間違いといわれている。
看話禅に対立する言葉として曹洞宗の黙照禅がある。
これは、座禅の要は全ての思慮分別をなくし、一心に座禅することで人の持つ仏性を得られるとするものである。ただ座るだけの中身のないものと批判されることもあった。日本においてもその批判はあったが長くは続かず、曹洞宗の禅風を表す言葉となった。
以上が私なりの臨済宗の考察である。勉強不足が目立つが、これが今の私の考えである。